アヴィッド・リオンゴレンとの対話
- 聞き手
- 大前奨平
- 文
- 小川和+ニューディアー
2026年2月20日〜25日に開催された第4回新潟国際アニメーション映画祭「新潟・アニメーションキャンプ」。本イベントに「NeW NeW」プログラムの一環として参加した大前奨平氏(第二期公募枠作家)が、滞在中の2月24日、フィリピンのアニメーション作家アヴィッド・リオンゴレン氏へインタビューを行いました。記事では、映画祭で上映された『サリーを救え!』『ニャンてこと!』や新作『Zsa Zsa Zaturnnah』(2026年公開予定)のテーマ、さらにはアヴィッド氏設立のスタジオ「Rocketsheep」について深掘りしています。

質問:物語のアイデアはどうやって生まれるのですか。
アヴィッド・リオンゴレン(以下、アヴィッド):正直、アイデアがどこから来るのかは分かりません。アイデアなんてたいしたものじゃない、言ってみれば「おなら」みたいなものです。
重要なのは「フィードバックの循環」だと思います。例えば『ニャンてこと!』では、制作途中で作品をワークショップの題材にしました。まだ完成していない段階のビデオコンテを、私たちを全く知らない人たちに観てもらい、率直な感想をもらったのです。もちろん、その意見を全部採用する必要はありません。読んだうえで、「これは重要な指摘だ」、「これは気にしなくていい」などと判断します。
フィードバックについての私のルールはこのようになります。もし「このシーンはこうだから悲しく感じた」と言われたなら、それは聞くべきです。もしそのシーンを悲しくしたくないなら、なぜ観た人が悲しく感じるのかを考える必要があるからです。だから、感情について話されている意見は聞くべきなのです。でも「このキャラクターはここを飛び越えるべきじゃない」とか「この色は違う」など具体的な作り方を指示してくる場合、それはおそらく、聞く必要はありません。感情ではなく、制作方法の話だからです。フィードバックでは、そこを見極めることが大事なのです。
アイデアについては、オープンでいることは大事だと思います。アンテナを立てておくこと。アイデアはポケモンのように、野生にたくさんいます。必死に探そうとすると見つからないけれど、普通に歩いていると見つかるものです。今の時代こそ外に出る必要があります。メディアを消費することもアートの燃料になりますが、大事なのは外に出ることであり、生きることであり、人と交流することです。
特にアニメーションの作り手は、アニメーションばかりを観てしまう傾向があります。でも私は若い人たちに「いろいろな種類の映画を観なさい」と言いたいです。「たとえ好きじゃなくても観なさい」と。「実験的なドキュメンタリーを観なさい」、それから「本を読みなさい」と。そうやって視野を広げることが大事です。
質問:あなたは多くの作品で愛や人間関係、あるいはLGBTQなどの政治社会的なテーマも描かれていますが、どのようにしてテーマを決めていますか?
アヴィッド:まず、創作の授業で最初に教わることは「自分が知っていることを書け」ということです。人はみんな、恋をしたり、家族や友達との関係を持っていますよね。つまり、人間関係とは、誰にでもある経験なのです。私は宇宙のことは知らないし、量子物理のことも知りません。でも、人間関係なら知っている。だから、そこから物語を書くのです。
次に、私自身はLGBTQではなく、当事者として物語を語っているわけではありません。だから作品では、脚本家が持ち込む視点を大事にしています。例えば『Zsa Zsa Zaturnnah』の場合、原作のコミックがあり、その原作者が脚本も書いていますから、彼のアイデンティティや経験が物語の中心を占めます。私の役割は、その声を守り、映像として形にすること。つまり、第一の語り手として原作者や脚本家がいるのなら、監督の自分はあくまで「声の守護者(ガーディアン)」なのです。映画はつねに共同作業です。アニメーター、プロダクション・デザイナーなど、多くの声が集まってできるチームの努力の結晶として、アニメーション映画が生まれます。
質問:何があなたの情熱を維持させているのでしょうか?
アヴィッド:よく「情熱が大事」と言いますが、正直に言えば、情熱はすぐに消えてしまいます。長くても3~6か月というところでしょうか。映画を完成させるものは、情熱ではなく、「責任と約束」なのです。つまり、最後までやりきるということです。
時には嫌になることもあるし、なぜこんなことをしているのか自問自答することもあるでしょう。でも、とにかく完結させることに注力するのです。もはや「妄想」でもあります。「この次のステップを終えれば、もっと良くなるはずだ」と自分に言い聞かせ続け、ゴールラインを越えるのです。
さきほど、ある映画監督に会いましたが、彼女は泣いていました。3年かけて映画を作ったのに、映画祭で落選し続けていると。たしかに映画制作は報われない仕事です。何年もかけた仕事が、一瞬で判断されてしまう。それでも、他にやりたいことがないからやるのです。それが「生きがい」というものですよね。存在理由というか。やっていて惨めになることもあるかもしれませんが、それが自分のなすべきことだからやるのです。
質問:フィリピンの短編映画の制作者は、どのように資金を得ているのでしょう?
アヴィッド:長編よりも短編映画の方が助成金は多いですね。私の国(フィリピン)にもあります。いわゆる、「ソフトマネー」と呼ばれるものです。クラウドファンディングも使えます。ある韓国の監督はPatreonを使っていました。映画監督はインフルエンサーではないので、そういったサービスを活用しても難しいかもしれませんが、そういうことにも取り組む必要がある時代なのでしょう。その韓国の監督は、オンライン活動を通じて見事にコミュニティを築いて、資金を得ることができました。ただ、彼女がバッカーのために作品をYouTubeにアップしたことで、いくつかの映画祭の応募資格を失ってしまった。コミュニティの支援と映画祭のルールのバランスをどう取るかについての、教訓的な話でもあります。
私たちは広告の仕事をすることで生き延びて、映画制作の資金にもあてています。ただ、決して「楽しい」仕事ではありません。広告の仕事には矛盾があるからです。クライアントは専門技能を当てにして仕事を依頼してくるわけですが、その仕事の実像は、「クライアントが望むものを作る」ということです。にもかかわらず彼らは、自分が何を望んでいるのかをうまく説明できません。だから私の仕事は、彼らの言葉を翻訳して、本当は何を求めているのかを引き出すことです。
例えばロゴをデザインしたとします。ロゴに「チキン」と書いてあって、雲の形の文字で作ったとします。するとクライアントが「なんだか重たい感じがする」と言うことがあります。でも雲は重くないですよね。そこで考えます。「ああ、これは雲の素材の問題じゃなくて、色の問題だな」と。つまり、白と青を使えば軽く見えるのに、色が重たいのだ。クライアントが「重い」と言ったとき、素材ではなく色の印象のことを言っているのかもしれないと。このように、彼らの話す言葉から、本当の意味を読み取るのがクライアントワークというものです。
質問:短編映画の制作者は、どうすれば一貫したチームを集めることができますか?
アヴィッド:短編映画のチームを作るには、友達を作ることが重要です。例えばワークショップで出会った人が、一番の良い仲間になります。インターネットで「スタッフ募集」と出しても、良いチームはなかなかできません。映画制作は、やはり人間関係の仕事だからです。一緒に仕事をすべき最高の人とは、単にお金を払う相手ではなく、少なくともコーヒーを一緒に飲んだことがあるような人です。
そして、必要なのはアーティストだけではないことに気づくのが重要です。プロジェクトマネージャーやIT担当者を探しましょう。なぜなら、アーティストはファイル名に「final_final_real_final」なんて付けたりするからです。私たちのIT担当者はファイル構造を管理し、バックアップを確実にしてくれます。彼はかつてこう言いました。「君の家が火事になったとしても、家と一緒に映画が死なないようにしよう」と。非常に現実的でしょう。
私は映画を、個人の作品ではなく、チームの作品だと思っています。映画の最後に、「A film by ○○」と書かれることがありますが私はあまり好きではありません。もし絵を描き、脚本を書き、音楽も作り、すべてを一人でやったなら別ですが、普通の場合は多くの人が関わっています。
だから監督の役割は作品をまとめることのほうに集中しますし、私の一番の仕事は、お金を見つけることだったりもするのです。映画を作るには、スタッフの給料や制作費が必要です。そうなると私はクリエイティブな作業をしているよりも、Excelを見る時間の方が長くなりますが、それもチームを維持するための行動です。「どうやってチームの給料を払うか」をずっと考えています。まともなビジネスマンなら、確実に売れるものを求めるのでしょう。ですが、私たちがやっていることは、「ファンサービス」の枠外にあるものなので、私が資金を獲得する役割を引き受ける必要があります。
人々に応援してもらう必要もあります。これは私が学んだことの一つです。人々は単に作品が好きになるわけではありません。映画の背景にある「ストーリー」を好きになるのです。私はクラウドファンディングでそれを学びましたし、今ではもっとはじめの頃から自分たちの旅を記録しておくべきだったと思っています。
Studio Heartbreakの『The Lovers』というプロジェクトがあります。クラウドファンディングをするにあたり、彼らは自分たちを「インターンシップに落ちた者たちの集まりが、映画を作ろうとしている」とマーケティングしました。その物語が共感を呼んだのです。6万ドルの目標に対して、40万ドル以上を集めました。彼らはマーケティングの専門家ではありませんでしたが、Redditやアニメーションのグループチャットで活動的でした。
映画の背後にいる人間として知られることは、生成AIへの対抗にもなります。以前の私は「大事なのは映画そのものだけだ」と思っていましたが、今は違います。映画を知ってもらうためには、映画を作っている人間として存在する必要があるのです。作者が作品の背後に消える「作者の死」という理論は、今の時代には通用しなくなり、人々は、映画を作っている「その人自身」をみたいと思っています。
