イベント「短編アニメーション作家と“成功” 第一部:短編アニメーション作家にとっての“成功”とはなにか?」レポート
- 登壇・文
- 土居伸彰

2025年5月15日、NeW NeWコミュニティ・スクールの第1回イベント「短編アニメーション作家と”成功”」が開催されました。この記事では、その第一部「短編アニメーション作家にとっての“成功”とはなにか?」の模様を、NeW NeWプロデューサーでもある講師、土居伸彰による語りおろしレクチャーのかたちでレポートします。
本講座と「New New」プロジェクトの目的
私は20年以上、様々な方法で、「作家性のあるアニメーション」の紹介に努めてきました。元々はユーリー・ノルシュテイン作品(とりわけ『話の話』)の研究からスタートし(『個人的なハーモニー ユーリー・ノルシュテインと現代アニメーション』という本としてその成果は出版されています)、その後、ニューディアーという会社を立ち上げ、アニメーション作品の配給や映画祭運営(2014-2021:新千歳空港国際アニメーション映画祭、2022-:ひろしまアニメーションシーズン)、最近ではプロデューサーとして個人作家がその才能を活かした新作発表の機会を創出する試みを行っています。私がプロデューサーを務めるこの「NeW NeW」プロジェクトは、短編アニメーション分野において、一人でも多くの日本人作家が海外でしっかりと活動できることを目標としています。具体的には、国際共同製作という形で短編作品を制作できる事例を増やしていきたいと考えています。それは、ここ数年、国際共同製作による短編アニメーション製作を手掛けるプロデューサーとしての経験や見識をみなさんに広く提供したい、ということでもあります。
短編アニメーションの「評価」の場、その変遷か
かつては映画祭での評価こそが「成功」でしたが、私がこの業界に関わった20年間でも、「短編アニメーション」と「映画祭」をめぐる関係は少しずつ変化してきました。さらに、現在は「映画祭」以外にも評価の場が現れ、作家による作品発表の場の選択肢は増えています。その変化は、大きく分ければ以下の3つにまとめることができます。
映画祭の時代:「映画祭コミュニティ」に所属する専門家(作家、映画祭ディレクター、プログラマーなど)が「質」を評価。
2000年代、パーソナル・コンピュータの普及により、個人でアニメーションを制作しやすくなる環境が生まれました。美術大学でもアニメーションを学べるところが増え、「アニメーション作家」という存在が爆発的に増えました。当時、「アニメーション作家」にとってのロールモデルのひとりとして、山村浩二監督がいました。山村浩二監督の『頭山』が、2002年、アヌシー国際アニメーション映画祭の短編部門で日本人初のグランプリを受賞し、翌年の米アカデミー賞にもノミネートされて、大きな注目を浴びました。これを機に、多くの作家は、「映画祭を目指してオリジナル短編を作る」というのをロールモデルとした活動をするようになりました。
動画サイトの時代:「同業者(他のクリエイター)」が「質」を評価
一方、2000年代の後半に入ると、動画サイトの時代がスタートします。一般的にはYouTubeが有名ですが、「アニメーション作家」にとって重要な役割を果たしたのはVimeoでした。いまでこそ「B to B」の動画配信プラットフォームとして名高いVimeoですが、立ち上がった当初は「クリエイター向けの動画サイト」として台頭しました。アーティストが自身の作品を直接アップロードでき、作家同士のコミュニティを形成し、なおかつ専門のキュレーターによる「Staff Pick」という制度が複合的に機能することで、一部では「映画祭は不要になった」という論調が生まれました。Vimeoは代理店やエージェントといった映像業界の「発注者」たちも注目したため、「わざわざ映画祭に行かなくてもオンラインで作品が評価され、仕事にも繋がる」という道筋が生まれたわけです。
SNSの時代:一般大衆による「数」の評価(リポスト数、シェア数など)
映画祭というオンサイトの場から動画サイトというオンラインの場への移行は、SNSによって加速します。twitter(現:X)、instagram、TikTokなど、いまではSNS上で作品が「バズる」ことが、短い映像を作るクリエイターたちにとっての新たな重要事項としてみなされるようになりました。
日本の現状:ロールモデルの不在と、一方で高まる存在感
今回、受講者のみなさんから多く寄せられた質問は「活動にあたってのロールモデルが見つからない」「ソーシャルメディアとの付き合い方」といったものでした。たった20年で発表形態が多様化し、評価軸も増えたからこそ、進むべき道に迷うのは当然かもしれません。映画祭なのか、オンラインなのか? 同じオンラインであっても、動画サイトの時代とSNSの時代は大きく異なります。後者においては、もはや評価は専門家や業界人の手を離れており、ある種「無責任に」作品を消費する人々の声や動向が大きく影響する時代になっています。
他にも「短編アニメーションとお金」に関する質問は特に多くいただきました。「短編アニメーション制作でどうやって生活していけばいいのか?」という切実な悩みです。
これに対しては、残念ながら厳しい現実をお伝えしなければなりません。基本的に、短編アニメーション制作だけで生計を立てるのは非常に難しいです。2000年代から、「卒業後問題」という言葉がありました。学生時代は制作できても、社会に出ると続けられない、というものです。短編アニメーションは制作にかかる労力や時間に対する金銭的な対価が生まれにくいフォーマットです。であれば、直接的に仕事につながっていくオンライン上での活動に多くの人が傾いていくのも当然のことです。また、映画祭という評価システム自体への疑念を持つ人も増えています。「特定のコミュニティの評価で自分の作品が左右されるのはおかしい」と感じ、映画祭離れが進んでいる側面もあるかもしれません。
しかし、「映画祭」をめぐる状況は、悲観的な側面ばかりではありません。冷静に現状を見ると、日本人作家の海外におけるプレゼンスは、かつてないほど高まっています。2025年2月、水尻自子監督が『普通の生活』でベルリン国際映画祭短編部門で銀熊賞を受賞しました。北米最大のアニメーション映画祭、オタワ国際アニメーション映画祭でも、この10年で4人の日本人作家が短編部門でグランプリを受賞しています。
この背景には、2つの大きな要因があると考えています。
1.キャリアを重ねた作家の実力:映画祭での発表を目指し、学校卒業後もしぶとく創作を続けてきた作家たちが、キャリアを重ねることで世界的に評価される実力をつけてきたところに…
2.プロデューサーの出現:短編の製作をお金にし、仕事にする存在としてのプロデューサーが国内外に出現し、日本人作家と組むようになった
という2点です。世界的に見ても、評価の高い作家の代表作は30代から40代の時期に生まれることが多いです。海外では学び直しの文化も根付いており、一度社会に出た後に再度学校で学び、クオリティの高い学生作品を生み出す40代の作家もいます。つまり、作家として脂が乗ってくるのは30代以降であり、20代でキャリアをスタートし、コツコツと力を蓄え、ある時プロデューサーと出会い、適切なシステムに乗ることで才能が開花する、というケースが増えています。
本日の目的:短編アニメーション作家にとっての「成功」を再定義する
今日の話の目的は、短編アニメーション作家にとっての「成功」とは何かを、改めて皆さんと一緒に考えることです。その際、1本の作品が生み出す目先の利益ということではなく、長期的なキャリア形成、ひいては人生における成功という広い視野で考えてみたいと思います。より具体的に言えば、「どうやってオリジナル短編の制作を、仕事として、そして人生の一部として組み込んでいくか」を考えたいのです。
この問いは裏を返せば、「短編アニメーション制作だけで仕事や人生を成り立たせるのは難しい」という現実も示唆しています。改めて現実をお伝えすると、短編作品の制作「だけ」で生計を立てるのは、ほぼ不可能に近いと言っていいでしょう。短編映画は、それ自体でお金を生み出すことが限りなく難しいものだからです。
世の中で「作家」と認識されている人の多くは、オリジナル作品を作りながら、生活のため、あるいは創作資金を得るための別の仕事(学校の先生やクライアントワーク、アニメーションに関連する別業界の仕事など)を並行して行っています。「作家」と呼ばれる人たちは、それ自身ではペイすることのないオリジナル短編アニメーション作品を「わざわざ」作っているのです。
もちろん例外はあります。例えば、ドン・ハーツフェルト監督のように、徹底的に顧客と向き合い、作品完成後に上映ツアーを行ってDVDやブルーレイを手売りしたり、クラウドファンディングなどを用いて生計を立てる活動スタイルを確立している人もいます。しかし、短編アニメーションというフォーマットにおいて、このような形で成功している例は極めて稀です。もちろん、これを覆すような新しいモデルが登場することを期待していますが、現状では厳しいと言わざるをえません。
ただし、オリジナル短編映画の制作を「仕事の一つ」にできる可能性は十分にあります。これが今日の話の核心です。
ヨーロッパ型の補助金システムと、その活用
繰り返しになりますが、短編アニメーションは完成後に収益を上げることが非常に難しいです。たとえ映画祭で高く評価されても、賞金が出ることは稀ですし、短編アニメーションが長編と同じ配給のフォーマットに乗ることは難しく、上映料などで大きな収益を得るのは奇跡に近い。配信プラットフォームにおいても、尺が短く視聴者数が稼ぎにくい短編は不利なのが現状です。だからこそ、多くの企業は短編映画を作りません(ディズニーやピクサーのような、技術開発や人材育成を目的に短編を作るスタジオは例外です)。
では、なぜヨーロッパでは多くの短編アニメーションが作られているのでしょうか? それは、「完成するまでを仕事にできるシステム」、つまり補助金制度が存在するからです。
ヨーロッパでは、完成後に市場で収益を上げることが難しい短編作品に対して、国が制作自体を支援しています。これにはいくつかの目的があります。
- 自国の産業育成:プロデューサーやスタジオ、駆け出しのクリエイターが短編制作を通じて経験を積み、将来的に長編やシリーズ作品を手掛けられるようにする。
- 自国のクリエイター保護:海外の強力なコンテンツから自国のクリエイターを守り、国内での活動を継続できるようにする(この目的を持つ補助金の場合、補助金の使徒を国内人材に限る傾向がある)。
- 多様な表現の創出:市場原理だけでは生まれにくい、多様な表現や文化を生み出すことを国の使命として支援する(特にフランスなど)。
ニューディアーの戦略は、このヨーロッパのシステムをうまく活用することです。日本人作家が単独で日本の補助金を得ることは可能ですが、限界もあります。しかし、ヨーロッパのプロデューサーと組むことで、その作品は「ヨーロッパの作品」として認められ、ヨーロッパの補助金を追加で得られる可能性が出てきます。作品の権利はプロデューサーに帰属することが多いですが、その代わりプロデューサーが資金を集め、作家を監督やアニメーターとして雇用するという形です。この際、監督の国籍はあまり重要視されません。
ニューディアーは、このような国際共同製作のスキームを活用しつつ、さらに近年非常に充実している日本の育成プロジェクトや補助金制度(本プロジェクト「NeW NeW」もその一つです)を組み合わせることで、短編アニメーションの制作を「お金になる仕事」にする可能性を追求しています。
短編アニメーションの制作費はピンキリで、ミニマムで数百万円規模、ものによっては数千万円規模になることもあります。これは、様々な補助金を組み合わせることで実現可能です。重要なのは、ヨーロッパの補助金を当てにするのではなく、日本国内でもしっかりと資金を集めることです。
ニューディアーがプロデュースする作品では、作家さんにも制作費として相応の報酬をお渡しし、ある一定の期間、作品制作に専念できる環境を提供することを目指しています。
この仕組みで鍵となるのは、やはりプロデューサーの存在です。プロデューサーは作家自身が兼務することも可能です。プロデューサーを見つけるか、自身がプロデューサーとなり、日本とヨーロッパ双方で資金調達を行うことで、資金を得ながらオリジナル作品を作るという選択肢が、近年新たに浮上しつつあります。
「成功」への儀式:映画祭、企画書、そしてコミュニティ
では、このような「仕事としての短編制作」を実現するためには、何が必要なのでしょうか。以下の3つの「儀式」が重要です。
- 映画祭での経歴を重ねる:映画祭での受賞歴や選出歴は、その作家が良い作品を作り、かつ完成させることができると存在であることを証明する「パスポート」のような役割を果たします。これは、ヨーロッパのシステムに入るための重要な実績となります。
- 企画書(バイブル、プロポーザルシート)を作る:作家の頭の中にあるアイデアを書類として形にし、他者と共有可能にすることが重要です。これは補助金申請の際にも必須となります。
- 映画祭コミュニティに入り、新作のアイデアを発表する:映画祭は、単に作品を上映する場であるだけでなく、マーケット(見本市)が併設され、ピッチ(企画発表)が行われるなど、ビジネスの機会や同志を見つける場でもあります。アヌシー国際アニメーション映画祭のMIFAなどがその代表例です。(「NeW NeW」では、採択作家にこのような場でのピッチの機会などを提供し、プロデューサーとの出会いを促進しています。)
映画祭に対して、「芸術性を競い合う敷居の高い場所」というイメージをお持ちの方も多いかもしれません。しかし、プロフェッショナルにとっての映画祭は、それだけではありません。
コンペティションは映画祭の一部に過ぎず、マーケット機能やネットワーキングの機会も非常に重要です。映画祭は、売れる・売れないといった市場の論理とは異なる判断基準でアニメーションと向き合う人々が集まる場所であり、「仲間を見つける場所」でもあるのです。
それは、お金儲けのためではなく、「これを作りたい」「これを作るのが大事だ」という強い思いを持つ作家たちが、その作品を評価してくれる人々に出会う場所です。賞を取ることや上映されることはもちろん重要ですが、それ以上に、人と出会い、友人を作り、時にはそれが仕事に繋がるという経験が貴重なのです。
私がプロデューサーをしているひろしまアニメーションシーズンでは、2024年の映画祭に併設してネットワーキングイベント「ひろしまアニメーションアカデミー&ミーティング」を立ち上げました。映画祭を単に競う場所ではなく、コミュニティを形成し、同志と出会う場所として捉え直したいという思いがあるからです。
映画祭だけが選択肢のすべてであるといいたいわけではありません。Vimeoなど動画共有サイト、もしくはSNSが適した作家さんもいます。今回強調したいのは、これまで見過ごされてきた映画祭の役割です。大事なのは、自分の作品や自分自身がどこに向いているのか、どこで心地よく表現できるのかを見極め、その選択肢の一つとして映画祭を考えることです。
また、映画祭と一口に言っても、アニメーション専門、実写中心、ジャンル系など様々です。自分の作品がどのタイプの映画祭で評価されやすいのか、傾向と対策を練ることも重要です。
映画祭のオンライン化については、配信サイトとの差別化が難しく、わざわざ時間とお金をかけてリアルな場に集うことの価値が薄れてしまう可能性があります。「わざわざ集まる」からこそ生まれる出会いや連帯感が、映画祭の重要な機能の一つだと考えています。
長期的にキャリアを見る
「オリジナル短編作品で映画祭に参加することが、仕事に繋がるのか?」というご質問も多くいただきました。
前述の通り、映画祭での評価がプロデューサーとの出会いに繋がり、次のオリジナル短編制作に繋がる可能性はあります。また、稀なケースではありますが、作家のスタイルが評価され、広告などの仕事に繋がることもあります。
また、短編作品を「入り口」として、異なるフォーマットの仕事に繋がっていくケースも存在します。
- ディレクターとしての道:短編作家が持つ独自の世界観やスタイルが評価され、長編映画やシリーズ作品の監督として抜擢される。
- 他ジャンルへの挑戦:ストーリーテリングよりも独自の世界観構築を得意とする作家が、ゲーム制作や現代アートの分野で活躍する。
近年、短編作家が長編やシリーズを手掛ける例は増えていますし、ゲームやアートの分野に進む作家も少なくありません。手描きやクラフト性こそが短編アニメーション作家の固有性である、という思い込みを一旦脱して、自分が持つ本質的な強み(ストーリーテリング、世界観構築、ディレクションなど)を見極めることが重要です。
一見お金にならない短編作品の制作という行為が、結果的に作家の生活を安定させるケースも存在します。
例えば、山村浩二監督の存在が世の中に知れ渡った『頭山』は、山村監督自身の私費で作られています。その作品がアヌシーやアカデミー賞で評価されたことで、作家としてのステータスが確立され、その後の活動に繋がっていきました。
インディペンデントの長編アニメーションでも同様の例は見られます。ニューディアーが配給したアレ・アブレウ『父を探して』、セバスチャン・ローデンバック『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』は、作家が自分自身のキャリアを賭けた挑戦として、自主制作をした作品です。両者とも今は、大きな予算の出資を受けて制作をするようになっています。ヨン・サンホやギンツ・ジルバロディスも低予算3DCGで長編を作ることで注目を浴び、現在では世界的作家として活躍するようになりました。初期投資(自己資金や労力)が、将来的な大きなリターンに繋がる「ギャンブル」的な側面もあるのです。
ゲーム業界への転身の例もあります。CGアニメーション作家のデヴィッド・オライリー監督は自費で制作したインディ・ゲーム『MOUNTAIN』『EVERYTHING』がヒットしています。ミヒャエル・フライ監督も自作の短編アニメーションをゲーム化して成功しました。
このように、短編作品で培った世界観を元に、他のプロジェクトに挑戦することも、現代における成功の一つの形と言えるでしょう。
NeW NeWが目指す未来:納得できる人生を送るために
事前の質問では、社会人としてクライアントワークを中心に活動されている方から、「なかなかオリジナル作品を作れない」という悩みも多く寄せられました。
まず、クライアントワークで評価され、仕事が継続しているのであれば、それは素晴らしいことであり、誇りに思うべきです。クライアントワークを追求することで作家性を確立した人もいます。
その上で、もし現在の活動に満足していない、あるいは不安があるのであれば、オリジナル作品の制作が新たな道を開く可能性があります。
- クライアントの幅が広がる:映画祭での評価を通じて、海外のエージェントが付くなど。
- 箔が付く:映画祭での評価がキャリアアップに繋がる。
- 表現の幅が広がる:クライアントワークでは試せない表現に挑戦できる。
- 自己肯定:自分が本当に描きたいもの、語りたいものがあるのであれば、それを形にすることでしか得られない満足感がある。
映画祭で評価される作品には、しばしば「なぜここまで労力をかけてこれを作ったのだろう?」と観客に畏怖や戸惑いすら感じさせるような、作り手の執念や切実さが込められています。「これをやらなければ自分の人生に納得できない」という強い動機があるのであれば、ぜひオリジナル作品を作るべきだと思います。
しかし、オリジナル作品を作らなくても、自分の手で生み出せるもので仕事が成り立っているのであれば、それもまた一つの立派な「成功」です。
「NeW NeW」プロジェクトは、せっかくオリジナル作品を作るのであれば、作家が本当に作りたいものを作り、その制作活動が仕事となり(=資金を得て)、映画祭を通じて世界に届き、そしてその結果として、作品がなければ生まれなかったであろう新しい展開が生まれていく、という好循環を生み出すことを目指しています。
今回の話でお伝えした方法は、数ある選択肢の一つに過ぎません。「成功」の形は一つではありません。モデルケースがない、発表形態が多様化している中で大切なのは、「自分が満足し、納得できる人生を送る」という大きな指針を持ち、その上でキャリアを考えることではないでしょうか。多くの作り手にとって、それは「自分の作りたいものを作ることができる状態」なのかもしれません。映画祭やオリジナル作品の発表は、そのための有効な手段の一つとなり得ます。
かつては茨の道と考えられていた短編アニメーション制作も、補助金制度の活用や、本日の話で触れたような「儀式」を適切に行うことで、キャリアの選択肢の一つとして現実的に考えられる状況になってきていると言えるのです。