土居伸彰×田中大裕 対談「泉津井陽一さんによるコンポジットのプライベートレクチャーを振り返って」
- 対談
- 土居伸彰・田中大裕
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- ホワイト健

第一期公募枠アーティスト・金子勲矩の企画開発支援の一環として、これまでスタジオジブリ作品などに携わられてきた撮影監督・コンポジッターの泉津井陽一さんを講師にお招きし、コンポジットに関するプライベートレクチャーを開催。その意図や達成について、「NeW NeW」総合プロデューサーの土居伸彰とコーディネーターの田中大裕が対談形式で振り返ります。
土居伸彰(以下、土居):現在、「NeW NeW」プロジェクトでは第一期の公募枠作家たちの新作企画の開発を、コーチングによってサポートしています。その一環として、今回、個人作家、しかもアナログ作画を行う作家に対して、いわゆる「アニメ」業界の一線級で活躍する撮影監督の方からのアドバイスを受けるセッションを用意するということをしてみました。まずはその背景にあるコンテクストについて話したいと思います。
個人制作が活発になった2000年頃、そのアイデンティティのひとつとして個人制作のアナログな手法における「クラフト感」や「手触り感」が主張されてきました。ただし、近年、技術発展に伴ってその状況が変わってきました。立体アニメーションのアナログ感がCGによってシミュレートできてしまうようになったり(生成AIの進展でそれはさらに進んでいくでしょう)、平面アニメーションであっても、「アニメ」分野における集団制作の卓越化によって、むしろ「手描きであること」の熱量は集団制作のほうにこそ感じられるようになってしまうケースもあります。
集団制作が発展した時代における個人制作のサバイブの方法論として、「NeW NeW」では「個人制作をチームで行う」という視点を作家の方に浸透させていきたいと考えています。個人の力を最大限に発揮するチーム作りを行う、という観点です。そして、作家個人ではなかなか発想しきれないチーム組みも試みてみたい。そこで、金子勲矩さんの企画「ウサギとカニ」において、アニメ業界の撮影監督とチームを組んでもらうという試みを実験的に行うことにしました。
金子さんの作品は墨絵や水彩画による作画が特徴ですが、これまでの作品や今回の作品のテストアニメーションを観ると、アナログ作画した素材をスキャンしたものをそのまま使っているような印象も受けました。実際に、本人にヒアリングをしたところ、コンポジットにはそれほど手をかけていないことが分かりました。そこで、アナログ素材のコンポジットについて、その道のプロから一回指導を受けてみるのがいいのではないかと思った次第です。田中さんに候補を挙げてもらった結果、泉津井陽一さんにご協力いただくことになりました。その選定に関して、泉津井さんにお願いすることとなった経緯や理由について教えていただけますか?
田中大裕(以下、田中):泉津井さんにお声がけした理由は主に三つあります。
まず一つ目は、私は以前から泉津井さんにはお世話になっているのですが、お人柄がすばらしい方で、グループワークに不慣れな金子さんにも寄り添ってくださる信頼があったからです。
二つ目は、金子さんの作風は手描きの筆致が最大の魅力なので、コンポジットの工程であからさまな加工をするよりも、「素材の味」を活かすほうが望ましいだろうと考えたからです。泉津井さんはスタジオジブリ作品などで、まさしく「素材の味」を活かすお仕事をされてきた方ですから、もしもお願いできるのであれば、これ以上はないと思っていました。
最後に三つ目は、泉津井さんはかつて、日本の特殊撮影やCGを牽引してきたアニメーションスタッフルームという制作会社でCM制作などに携わられていたため、一般的な「アニメ」のワークフローから外れたアニメーション制作の経験も豊富だからです。
土居:この対談の収録段階では、これまで二度のセッションを行いました。そこではどのような反応がありましたか?
田中:泉津井さんには画面をより魅力的にするための美的な観点からの助言はもちろんですが、効率的なデータの管理方法や軽量化の工夫など、基礎的な部分も含めて手取り足取り指導をいただきました。
一例をあげると、画面のフレームぎりぎりまでしか絵を描かないと、フレームの境界線が画面に映り込んでしまったり、コンポジット段階での微調整が利かなくなってしまうため、「アニメ」では通常、想定されうる画面のフレームよりも少し大き目に絵を描くことが求められます。こうした地味ながら重要なテクニックも、金子さんにとっては学びだったようです。
こうした「直接的に画面を豊かにするわけではないけれども、ミスを防いだり、効率化のために重要なテクニック」を学ぶ機会というのは、個人作家には限られているかもしれませんね。
土居:これまで、金子さんの作品には「見せたい意図」と「実際に伝わる画面」にギャップがあるように感じていました。背景を描き込んだことによってかえって遠近感が失われたり、キャラクターが背景に埋もれてしまっているようにみえるところがありました。「手描きであること」と「物語を語ること」の両面がしっかりと合致することが金子さんの作品の世界観を高めていくには必要だったので、そこで泉津井さんには、平面的な素材からどのように立体感や空間性を生み出すか、といった点を重点的に指導していただきました。
田中:高度に組織化された「アニメ」において原画や背景美術は、あくまでも中間生成物であって、それらをコンポジットによって文字通り「コンポジション」することで画面が完成します。一方で金子さんのような作風は絵の時点で、いっけん「完成」しているようにも見える。それは良いことのように思われるかもしれませんが、じつはそこに落とし穴があるのかもしれません。コンポジットを工夫することで画面をより豊かにする余地があるにもかかわらず、手を加えなくても最低限、違和感なく見えてしまう。それゆえに金子さん自身、「もう少し立体感が欲しい」というような漠然とした物足りなさは感じつつも、具体的な改善点をイメージできずに悩まれていたように思われます。
泉津井さんには、漠然としたイメージを具体的な画面の効果に落とし込むための指導をしていただいたと認識しています。
土居:映画祭で勝負する作品は、「映画」であることが重要です。そのためには、「動くイラストレーション」になるのではなく、作画したものを映画空間を作る素材として捉え直す、という意識を持つことが必要です。
私のプロデュース作品の例で言うと、折笠良監督の『みじめな奇蹟』では、折笠さん自身がカメラの知識があることも理由ではありますが、アナログ作画の素材の撮影自体にかなりこだわっていました。スキャンではなく、セットを組んでの一眼デジタルカメラでの撮影です。作家性を確立するためには、そうした技術面への関心も実は不可欠な要素です。なので今回、セッションを通じて金子さんがコンポジットに強い興味を示すようになったのは、非常に良い変化でした。田中さんは昨日の二度目のセッションについてはどう感じましたか?
田中:「アニメ」の現場は高度な分業体制が前提であるがゆえに、コンポジット段階でアニメーターの意図しない処理が加えられることも当然ありえます。しかしながら各セクションが互いの領分を尊重しているからこそ、それでも成り立っているんです。一方で個人制作の場合はすべてを自分でコントロールできてしまうがゆえに、思い切った割り切りをしづらい面があるのかもしれません。わからないですが、もしかすると当初は金子さんにもそういった面があったかもしれない。ですが、初回のプライベートレクチャーを経て、二回目からは金子さん自身が(コンポジットに)前のめりになられたように見受けられました。今後はコンポジットを前提に完成画面をイメージすることができるようになったかと思われますし、それによって表現できる世界観の幅も広がったのではないでしょうか。
土居:現在のアニメーション教育の難しさとして、(ものすごく図式化してしまうと)専門学校では技術者、美大では作家の育成が中心となっている分、「ディレクター」としての教育が不足している面があるように感じます。とりわけアニメーションを始める動機が「自分の描いた絵が動くことの面白さ」に寄りがちな美大の環境では映画としての前例に従わないからこそ多くのユニークな作家たちが誕生してきた一方、そこにさらに「映画」を作る技術や考え方が加わることで、その作品世界がより強固なものになっていくはずです。
田中:泉津井さんもおっしゃっていましたが、コンポジットには実際のカメラに関する高度な知識が求められます。しかしながら、美大のアニメーション教育は絵画やグラフィックデザインの延長線上で行われている場合が多く、学校やコースによってはカメラに関する知識を身につける機会が十分ではないかもしれません。
土居:デジタル化以前のフィルム撮影の時代では、物理的な撮影を通す必要があったため、そこで不可避的にカメラ感覚が身につきましたが、デジタル時代はそうではありません。やれることの自由度が無限といっていいほどに広がるので、自分の作品に必要な「手数」を知ることが重要になります。実際に泉津井さんが手を入れたカットは、金子さんの絵にさらなるリッチさを与えていたと思います。
田中:初回のプライベートレクチャーを経て金子さん自身が処理を加えたカットに関しても、個人的には想像以上の完成度だったように思います。金子さんが前向きに取り組まれた成果が現れていたのではないかなと。ただ泉津井さんはカット単位だけでなく、作品全体のトーンを意識しながら、元の素材を極力活かす方向でコンポジットを行ってくださいました。
アナログの画材を駆使する金子さんのような作風の場合、スキャンによって原画が持つ量感が失われ、ぺたっとした平面的な画面になってしまいがちです。そうして失われてしまった原画本来の立体感を、泉津井さんはコンポジットの工夫によってデジタル上で救い上げていたのが印象深いです。一例をあげると、背景にボケを加える際、水彩の「たまり」によって生じる凹凸感を際立たせるために、あえて一様にボカすのではなく、フラクタルノイズでマスクを作成してムラのあるボケを生み出していました。
泉津井さんがアナログの質感を大切してくださる方だったからこそ、金子さんもモチベーションを高く保つことができた面はあるような気がしますね。
土居:一回目のあとに金子さんが手がけたカットは、全面的に効果をかけすぎてしまう傾向がありましたが、それが逆に魅力になる可能性もあります。たとえが適切ではないかもですが、経歴の長い巨匠作家が初めてデジタルを活用したときにどうしても入り込んでしまうデジタルくささのようなものが、ある種の魅力になる、というケースです。一方で泉津井さんのカットは、キャラクター性と手描き感の両方が保たれ、非常にバランスの良いものになっていました。ビジュアル面での強さが増したので、物語さえしっかりしていれば、しっかりと評価される作品になると思います。次回のセッションでは、泉津井さんのレベルを目指してコンポジット作業自体の技術を磨いていくか、金子さん自身の作風に合った方法を見つけるかのどちらかが目標になりそうですね。
田中:泉津井さんからはコンポジットファイルも金子さんに共有いただいたので、どんな風に処理が加えられていったのかを確認することができます。これは金子さんにとって最高の教材になるはずです。一朝一夕で専門家のレベルに追いつくのは難しいですが、金子さんも非常に意欲的に取り組まれていますし、私も泉津井さんの協力のおかけでビジュアルの完成度がぐっと高まった印象を持っています。
この対談後には第三回目のプライベートレクチャーが実施されました。その後に控えていたザグレブ国際アニメーション映画祭とアヌシー国際アニメーション映画祭で実施されるピッチに向け、これまでのレクチャーを活かし、テストアニメーションのコンポジットを自ら行いレクチャーに臨む金子。そのテストアニメーションを、泉津井さんに1カットずつその場で確認していただき、具体的なフィードバックをもらいました。