ルパート・ボッテンバーグ「ファンタジア国際映画祭と(短編)アニメ(ーション)」講演レポート①

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登壇
ルパート・ボッテンバーグ
モデレーター
土居伸彰
ホワイト健
※本記事は2025年5月12日に「CG-ARTS One」で公開された記事の転載となります。

オンライントークイベント「ファンタジア国際映画祭と(短編)アニメ(ーション)」が2025年3月29日に開催されました。講師として登壇したのは、カナダ・モントリオールを拠点に活動するファンタジア国際映画祭プログラマーのルパート・ボッテンバーグ(Rupert Bottenburg)氏。本講演では、日本アニメーションが北米市場に進出してきた歴史を振り返ると共に、北米最大級のファンタスティック映画祭として知られるファンタジア国際映画祭と日本アニメの関係、さらに短編アニメーションに関する同映画祭の現在の取り組みが紹介されました。

ボッテンバーグ氏は、カナダ・モントリオールを中心に活動するビジュアルアーティスト、ライター、編集者、イベントプロデューサー。過去にはアート・イニシアティブ「EN MASSE」の立ち上げや神話アーカイブプロジェクト「lostmyths.net」の運営に携わり、現在はファンタジア国際映画祭のアニメーション・プログラミング・ディレクターして活動しています。

講演は、1960年代初頭に北米で初上映された日本アニメーションの紹介から始まりました。『白蛇伝』(1958)と『少年猿飛佐助』(1959)の英語吹替版が1961年に英語吹替版が公開されたのを皮切りに、『鉄腕アトム』(1963–66)、『ジャングル大帝』(1965–66)、『鉄人28号』(1963–65)が北米でテレビ放送されたそうです。

北米における日本アニメの歴史

ボッテンバーグ氏は、1971年にケベックで生まれたため、英語圏で制作されたハンナ・バーベラ・プロダクション作品やスーパーヒーロー系アニメーションなどのほか、フランス語吹き替えで放送された『UFOロボ グレンダイザー』(1975–77年)や『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978–79)、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972–74)などの日本アニメも好んで観ていたといいます。

80年代中盤になると、『THE TRANSFORMERS』(1984–86)や『Robotech』(1985)など魅力的なロボットアニメが北米で放送され、ボッテンバーグ氏もそれらを好んで観ていたといいます。同時にこの頃、日本マンガの翻訳版の出版も進み、ボッテンバーグ氏は『うる星やつら』(1978–87)を特に愛読していたそうです。

しかしながら、当時、日本アニメは「ジャパニメーション」と呼ばれ、北米ではやや侮られていたとのこと。それを象徴するかのように、当時発売された『風の谷のナウシカ』(1984)の北米版VHSのパッケージアートでは、主人公のナウシカは端に追いやられ、デタラメなイラストが描かれていたといいます。ところが、そうした状況は『AKIRA』(1988)が北米公開されると一変。大人の鑑賞にも耐えうる芸術として日本アニメの価値が見直され、新たな市場が拓かれました。『獣兵衛忍風帖』(1993)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)は特に大きなインパクトを与えたといいます。さらに、1995年に『美少女戦士セーラームーン』(1992–97)の放送が開始すると、それまでは男性が視聴者の大半を占めていた日本アニメに多くの女性が魅了され、北米におけるアニメ市場はさらに拡大。その翌年の1996年にファンタジア国際映画祭が設立されました。

ファンタジア国際映画祭の歴史と発展

ファンタジア国際映画祭は当初、主流の映画祭からは見過ごされがちであったSFやホラー、ファンタジーといったジャンル映画、とりわけアジアの作品を紹介するイベントとして立ち上げられました(ファンタジア=ファンタスティック+アジア)。第1回は日本の特撮・アニメや香港のアクション映画を中心に構成され、その後も欧米やラテンアメリカ、韓国などのジャンル映画が加わってゆき、コンペティション部門の設置などを経て国際映画祭として成長していったといいます。

現在は形式や地域を問わず様々な映画を上映しているものの、『リング』(1998)を北米プレミア上映し、北米におけるJホラーブームの火付け役となるなど、依然としてアジア映画を北米に紹介する役割を担い続けているといいます。

ファンタジア国際映画祭は設立当初から日本アニメを重要視していました。わけても今 敏監督は同映画祭とは切っても切れない関係。同映画祭では今監督の監督デビュー作『パーフェクトブルー』(1997)の世界初上映が行われ、今監督が世界に飛躍するきっかけを作りました。2012年には「今 敏賞」を創設し、逝去した今監督の業績を称えると共に、実写映画から独立した枠組みを設けることで、アニメーションならではの芸術性に光を当てています。

今監督の作品に限らず、『音響生命体ノイズマン』(1997)、『ねこぢる草』(2001)などの先鋭的なアニメ映画を積極的に上映。2005年には湯浅政明監督『マインド・ゲーム』が複数部門で受賞するなど、ファンタジア国際映画祭におけるアニメ映画の存在感は、映画祭の歩みと共に増していきました。

今 敏賞設立以降はハイブリッド作品やストップモーション作品を含めた「アニメ」以外の長編アニメーションを発掘するために「Circo Animato(アニメ・サーカス)」というプログラムが設けられ、現在も「Animation Plus(アニメーション・プラス)」と改称の上で運営が続けられています。また、短編アニメーションについても2022年より「Anime no Bento」プログラムが開始され、オムニバス形式やミュージックビデオなど、多様な形式の作品を募集しているとのことです。

短編映画への取り組みも強化されており、「アニメーション・プラス」「ボーン・オブ・ウーマン」「国際SFショートフィルムショーケース」など、現在では15以上の部門が存在。短編のキュレーションについてボッテンバーグ氏は「プログラムごとに映画祭を立ち上げているような感覚だ」と語り、プログラムを検討する作業をDJに例える語り口からは構成の妙を楽しんでいる様子が窺えました。

会場からの質疑応答

講演後には質疑応答の時間が設けられ、オンラインの参加者を含め多くの質問が寄せられました。

アニメーション作品を選考する際の基準やポリシーに関する質問に対し、ボッテンバーグ氏はアニメーション部門を独立した映画祭のようなものとして位置づけており、作品選考では他の映画祭と同様に「大衆への訴求力」「物語の完成度と芸術性」「社会的な意味」を重視していると述べました。

また、国際映画祭におけるジャンル映画の立ち位置を問われると、「むしろ主流映画祭の側がジャンル映画を評価し始めている」と語り、ジャンル映画の社会的な意義や重要性がファンタスティック映画祭以外でも認識されるようになりつつあるのが現状だと述べました。

さらに、女性を性的対象化しがちなアニメを多様な観客の集まるカナダの映画祭で扱うにあたっての考えについても質問は及びました。ルパート氏は「セクシーな女性を描くこと自体が悪いわけではない」としながらも、映画祭としては主体的な女性像を描く作品や、女性監督による作品などを意識的に選出していると答え、日本のアニメーション業界に対しては才能ある女性作家により活躍の場を与えることの重要性を訴えました。観客層に関する質問に対しても、アニメ作品は女性の観客を増やしたように感じると述べ、女性が活躍できる場としてのアニメの意義を強調しました。

娯楽的・商業的なアニメーションと芸術的・非商業的なアニメーションの間に区別があるのかという問いには、「主に子どもやティーンエイジャーに向けて作られた商業的なアニメーションと、政府の助成金を受けて制作される芸術としてのアニメーションの間にははっきりとした区別がある」とし、映画祭では『Flow』(2024)のようにその中間にある映画を選ぶようにしていると述べました。また、欧米で日本アニメのスタイルを模倣するような作品は作られているのかという質問については「フランスなどに少なからず存在するが、模倣ではなく自分なりの独自性と革新性を重視して欲しい」と訴え、イミテーションではなくイノベーションを心掛けることの重要性を熱弁しました。

最後に、ファンタジア国際映画祭は今後も観客のための映画祭として、直接的に制作の支援や助成を行うことはないが、作風や形式を問わず、アジア作品を中心に多様な作品を世界に紹介するプラットフォームとしての役割を果たしていくと再度強調。同映画祭の立場と役割を明確にし、講演を終了しました。


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