ルパート・ボッテンバーグ「ファンタジア国際映画祭と(短編)アニメ(ーション)」講演レポート②(ディスカッションパート)

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登壇
ルパート・ボッテンバーグ
モデレーター
土居伸彰
構成
ホワイト健
※本記事は2025年5月12日に「CG-ARTS One」で公開された記事の転載となります。

2025年3月29日にオンライントークイベント「ファンタジア国際映画祭と(短編)アニメ(ーション)」が開催されました。カナダ・モントリオールを拠点に活動するファンタジア国際映画祭プログラマーのルパート・ボッテンバーグ氏を講師に招いて行われた同講演の終了後には、現地に招待されたアニメーション作家・プロデューサーらとボッテンバーグ氏によるディスカッションの機会が設けられました。モデレーターを務めるのは「NeW NeW」総合プロデューサーの土居伸彰。今回は、そのディスカッションの模様を再構成してお届けします。


質問:トークイベントの中で「イミテーションよりイノベーションを」と述べていましたが、例えば手塚治虫のような先駆者であってもアメリカのアニメーションを模倣した作品を数多く制作しています。模倣の中から本物が生まれるといったことはありえるのでしょうか?

ボッテンバーグ:確かに初期の手塚治虫はアメリカの作品を模倣していますし、彼以前の日本のアニメーションで、彼の作品よりもイノベーティブなものも少なくはありません。手塚治虫は次第に独自のスタイルを獲得することに成功していますが、後期のより実験的な短編では、東欧など、アメリカ以外のアニメーションを模倣した作品を作っていたりもします。

ですから、私の言葉には少し訂正を加えるべきかもしれません。実際のところ、100%新しいことをしようとすると、誰にも理解されず、誰からも受け入れられない作品になってしまう可能性が高いため、やはりどこかで部分的に先駆者たちを模倣する必要はあるのでしょう。作家として自分のルーツや自分の受けた影響から完全に逃れることは難しいというのも事実だと思います。

先日、アニメーション作家の山村浩二さんのアトリエにお邪魔したのですが、その際に彼の蔵書を見せていただきながら、お互いに影響を受けた作品について語り合いました。それはとても刺激的な時間でした。我々アーティストはインスピレーションを与えてくれた作品を掘り下げ、その魅力を共有することが大好きですし、往々にして尊敬する作家を超えるために人生を捧げるものです。

したがって、「絶対に模倣してはいけない」という言い方は不正確だったかもしれません。模倣から入るのは間違っていません。しかし、最終的にはお手本と肩を並べる、あるいはそれ以上の高みに辿り着かなくてはならない。それこそが「芸術を作る」ということなのではないでしょうか。

質問:トークイベントの中で女性作家についての話がありましたが、日本ではアニメーションを学ぶ学生には女性が多いものの、実際の制作現場では男性の方が多いように見受けられます。例えばロンドンでは、採用比率を男女50%ずつにしているプロダクションもあります。映画祭としては男女比を意識した取り組みは行っているのでしょうか。

ボッテンバーグ:まず、短編と長編で制作者の男女比に大きな隔たりがある、という前提があるでしょう。トークイベントの中で日本の制作スタジオに向けて「もっと女性監督に活躍できる機会を与えるべき」と言いましたが、それは特に長編映画を意識しての言葉です。実際のところ、世界人口の男女比に関しては女性の方がやや多いため、女性作家の方がやや多いくらいが正常だと考えています。

短編の選考に関しては、以前は応募作品の制作者を男性か女性かタグ付けするなどして比率を意識していましたが、近年では女性監督が増えたこともあって特に意識せずとも自然に半々かそれ以上に落ち着くようになりました。

しかしながら、長編となると未だに男性監督の方がとても多い。映画祭では子ども向け長編アニメーションを上映しておらず、ティーンエイジャーや大人向けの作品を流していることも一因かもしれませんが……。

じわじわと女性監督が増えてきている実感はありますが、アニメーションは実写よりも制作にかかる時間が長いこともあり、変化が遅い。結局は起用する監督を決定するプロデューサーの影響が大きいため、彼らの意識を変える必要があるように思われます。

質問:アニメーション業界に携わる者として、『MEMORIES』(1995)や『マインドゲーム』(2004)のように斬新で挑戦的な作品の企画がかなり通りづらくなっているように感じます。これは日本だけのことでしょうか、海外でも同様でしょうか。

ボッテンバーグ:北米でも同様だと思います。『AKIRA』(1988)や『メトロポリス』(2001)のようなクオリティと新規性の高い作品を制作するのに必要なリソースが減っているため、無難で売れそうな企画ばかりが通ってしまっているのは事実です。特にアメリカではまたもやバットマン、またもやスパイダーマンというように、私や同年代のプロデューサーたちが子どもの頃に人気だったコンテンツの焼き直しばかりが作られています。『プレデター:ザ・プレイ』(2022)のようにコマンチェ族の視点で「プレデター」の物語を語り直す意欲作もありますが、大半の作品はアイデアを欠いた安っぽい二番煎じになっていると感じます。新しくワクワクできるIPの制作という点では日本にアドバンテージがありますね。

近年では中国アニメが大きく発展していますが、政府の検閲による制約が大きく、「西遊記」の語り直しばかりが繰り返されている状況にあります。日本やアメリカには検閲制度がないのだから、製作会社がもっとクリエイティブにならない現状はもったいない。何度でも失敗する可能性を受け入れ、それでも新しいものを作り続ける意義を、製作会社にはもっと認識して欲しいです。

なお、アメリカでは、配信サービスで公開される短編アニメーションにときおり新規性のある作品が認められるものの、長編にはやはりほぼ(新規性のある作品は)ありません。今も昔もユニークな長編の多くはユニークなマンガを原作としていますから、企画のアイデアを求めるプロデューサーはもっと本屋に通い、小さな出版社から出版されるさまざまなマンガに目を向けた方が良いと考えています。

質問:若手作家の抱える困難として、学生のうちはオリジナルの作品を作る時間的な余裕に恵まれていても、スタジオに所属するようになるとクライアントワークにほとんどの時間を奪われ、オリジナル作品を制作できないという問題があると思います。これについてはどのようにお考えでしょうか。

ボッテンバーグ:これはアニメーションに限らず、世界中のあらゆるクリエイターが直面する問題だと思います。欠陥まみれの資本主義体制が崩壊しつつある現在、可能性がある解決策としてはユニバーサルベーシックインカムくらいのものではないでしょうか。実現すれば今日をしのぐための労働ばかりに時間を奪われることがなくなり、自分自身のオリジナル作品を制作するという選択肢が現実味を帯びてくる。現時点で私の口から根本的な解決策を提示することは難しいのですが、とにかく今は辛抱強く作品制作を続けていただきたいです。

土居:「NeW NeWコミュニティスクール」では「クライアントワークと並行してオリジナル作品を作り続けるためにはどうするべきか」という問いに対する答えを、参加者の皆さんと議論を重ねながら探していきたいと考えています。

一つ確実に言えることがあるとすれば、それはどこかの段階で「勝負」に出なければならないということかもしれません。先ほど話題にあがった山村浩二さんは、クライアントワークでキャリアを重ねたのち、自主制作で『頭山』(2002)を完成させ、結果的に『頭山』はアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートされるなど、国際的に高く評価され、批評的な成功を収めました。それをきっかけに山村さんは世界的なアニメーション作家としての地位を確立し、独創性をキープしたオリジナル作品を作り続けられる環境を手にしました。山村さんはアニメーション作家にとって一つのロールモデルといえるかもしれません。

「NeW NeW」を通じてアニメーション作家がオリジナル作品の制作を続けながら生活し、自身のキャリアを充実させていくための道標を示していきたいと考えています。


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