第三期公募枠アーティスト・副島しのぶインタビュー

2026年6月19日
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取材
田中大裕
構成
塚田優
『クラゲオンナ(仮)』

大学に進学するまではマレーシアで暮らしていたそうですね。

副島しのぶ(以下、副島) 生まれは日本ですが、父の仕事の都合でマレーシアに渡り、10代をほぼマレーシアで過ごしました。イギリス系のインターナショナルスクールに通っていたので、様々なルーツを持つ友人たちと多感な時期を過ごしました。ただ、私のいたペナン島は、イギリスの植民地支配と、日本軍による占領統治の双方を経験した場所でもあったので、そうした国籍にまつわる複雑な背景が今の制作や研究にもつながっている部分はあると思います。

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(以下、UCL)に通われていた時期もあるのですね。

副島 イギリス人の先生が多かったのもあり、進学先に勧められたのがUCLのSlade Schoolでした。Sladeではスカルプチャー(立体)を専攻していました。

ただ日本を離れている期間が長くなり、自分のルーツを考える場面が増えたことをきっかけに、帰国を考え始めました。結果的にSladeを約1年で辞めて、東京藝術大学の先端芸術表現科(以下、先端)に移りました。

先端では現代美術の文脈で立体をより深く学びたくて、小谷元彦先生のゼミに所属しました。ただ当初想像していたよりも、日本の芸大・美大には独特の立体作品の文脈があり、学部時代は自分の作りたいものと作れるものとの間で悩んでいました。

アニメーションを制作するようになったきっかけは?

副島 当初はインスタレーションや立体作品を制作していましたが、ずっと物語をつくることへの興味がありました。先端の卒業制作に取り組むにあたり、これまでやってきた造形的な制作と物語制作の両方を横断できる立体アニメーションに挑戦しました。しかし、最初はコマ撮り専用ソフトであるDragonframeの使い方や、人形の作り方もまったくわからず、今ほどSNSが活発でなかった時代だったのもあり、書籍や限られたネットの情報を集めて手探りで制作していました。

大学院は先端でなく、同大学院映像研究科アニメーション専攻に進みます。本格的にアニメーションを学びたいと考えた?

副島 先端は様々な表現を学べる環境だったのですが、その裏返しで専門性を深めるためには特化した領域で学ぶほうがよさそうだと感じていました。大学院では伊藤有壱先生のゼミに所属し、ストップモーションを専門的に学びました。先端とは異なり、基本的に映画祭での上映を前提とした制作発表を軸としていました。そのため、在籍中は現代美術のアプローチとの違いに戸惑うことも少なくありませんでした。しかし、学生時代に二つの異なる分野を経験できたことは大きな財産になっていると感じています。

同期の作家にはどなたが?

副島 岡田詩歌さんは先端の頃から一緒です。他には若林萌さんや3人組のアニメーションユニット「Oh Hey Do」で活動している西野朝来さん、小林真陽さん、平田祐美さんもいますね。

大学院在籍中にはロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)にも研究生として所属されます。

副島 自分がアニメーションに興味持ったきっかけのひとりであるスージー・テンプルトンさんが制作をしていた学校なので、彼女の作品を研究するために留学しました。「トビタテ!留学JAPAN」の助成を得て渡英しました。

現地では、どういった方々と交流されましたか。

副島 まずはブラザーズ・クエイ研究の第一人者であるスザンヌ・バカンさんです。RCAで教鞭を執られていた彼女の紹介で『砂時計サナトリウム』(2024)を制作中のブラザーズ・クエイと話すことができました。膨大な量の書籍がスタジオの天井いっぱいに積み上げられていて、その上に歴代の人形たちが置いてありました。彼らの圧倒的な知識と世界観の中で朦朧としながら会話したのを覚えています。

それから学外では、2023年に事故で亡くなられてしまったポール・ブッシュさんにもお世話になりました。研究生終了後に、彼のスタジオに2か月半ほどインターンに行き、最後の作品である『Orgiastic Hyper-Plastic』(2020)にアニメーターとして参加しました。一緒にご飯を食べたり、家族ぐるみの交流をしていたので、訃報はショックでした。彼は同じモチーフをリプレースメントで撮影することで、輪郭をブレさせる表現を持ち味にしていたので、その技術をいかに継承できるかを今も考えています。

他にもシュペラ・チャデシュさんを訪ねてスロベニアに行ったり、ウィーンのトリッキーウーマン/トリッキーリアリティ映画祭の手伝いを通じて多くの作家と交流を深めました。RCAに所属している間、学内に限らず、学外でも様々な作家たちと出会う時間を積極的に設けるようにしていました。

現在は東京藝術大学の博士後期課程に在籍されています。取り組まれている研究テーマは?

副島 アニメーションをアニミズムの視点で再考することで、「みえないもの」や、「みえにくいとされてきたもの」をどうアニメーションで描けるのか研究しています。

「みえないもの」とは、人形が神霊を招き入れたり禍を吸い取る形代として作られてきた道教由来の歴史を念頭に置いてます。玩具以前の人形は、私たちの世界と他界とをつなぐ媒介として古来より機能していました。自分と他者、生命と非生命、中心と周縁といった境界をどのように融和することができるのか、その連続的なつながりを見出す手段として人形アニメーションの可能性を検討しています。

「みえにくいとされてきたもの」というのは、存在しているのに社会的に見えないものとされてきた物事や人々についてです。歴史の中から消えかけている存在に対して、その立場を完璧に想像したり共感することは私たちにはできません。しかし、それでも物語を通じて同じ視点で理解しようとする努力を行っていくために、「みえにくい」状態にあるものを人形身体に招き入れ、主体と対象の関係性を超えて語り直していくためのアニメーションの可能性を、布山タルト先生の指導のもとで検証しています。

ご自身の作風をどのように自己分析されてますか?

副島 アジア圏の民間伝承を自分なりに解釈し、語り直していく作品が多いです。 それと特徴としては、劣化してしまうため通常あまり使われない米や肉などの有機物をストップモーションアニメーションに積極的に使用しています。有機物を素材にすることで、アニメーションを動きの錯覚としての表現だけでなく、物質の自生的な動きそのものもアニメーションとして捉えて作品化したいと考えています。

副島さんの作品は非西洋的な部分も特徴かと思われますが、その点についてご自身ではどう考えていますか。

副島 ふたつの観点から説明することができるかと思います。まずひとつは、「非西洋」対「西洋」という対立構造よりも、自分にとって身近な、ローカルなものをテーマにしたいという私自身の考えが反映された結果だということです。「みえないもの」とは立証が不可能な現象ですし、ともすると描く行為が文化盗用につながる危険性もあります。自分に近い出来事や文化圏を元に描いていく方が実感を持って表現ができると感じています。

そしてもうひとつは、人形そのものに非西洋的な部分があることです。人形アニメーションは西洋で発展しましたが、「人形芸」という切り口で考えると、アジア圏でも古くからその実践が行われてきました。日本にはおしらさま、中国には傀儡戯、インドネシアにはワヤン・クリなど数多く存在します。これらは霊性的な存在との対話のためにに行われてきたものです。一般的に人形には「意思を持たない存在」という記号性がありますが、これらの文脈から考えると、人間が人形をコントロールするのではなく、人間にコントロールできないものと対話するための媒介者として、人形が存在していました。

アニメーションを作りはじめたのも、身近な人の死が関係しています。人形に死者を演じてもらうことで、死の状態にある存在をアニメーションによって一時的に蘇生していくような作業のように感じました。だからこそ、私は人形アニメーションという技法を選んだのかなと思います。

副島さんが二項対立ではない地点から、いかに作品を立ち上げていくのかが楽しみです。

副島 そういう意味では、NeW NeWで企画段階から西洋のアドバイザーと対話ができるのは貴重な経験です。彼ら彼女らの文化圏とは異なる背景を背負った作品であることを説得力を持って伝えられるよう取り組んでいきたいです。

ここまでのキャリアの振り返ってみて、特に手ごたえを感じている作品は?

副島 最初に作ったアニメーション『ケアンの首達』(2018)です。死んでしまってもう会うことができないもの、あるいは理解が困難な状態にあるものを、人形アニメーションを作る行為を通じて歩み寄っていくことを考えさせられた作品で、今でも自分の指標になっています。日本以外の場所からもいろんな人に観てもらえた最初の作品で、それも思い出深いです。

制作の際に常に心がけていることは?

副島 毎回リサーチブックを作り、影響を受けた出来事やイメージ、思想についてまとめています。それは作品の着想源になっているものなので、方向性に迷った時に見返すようにしています。既存の思想や流行の動向を参照することで、他者と共有しやすくすることもできるかもしれませんが、それだけだと葛藤のない作品になってしまいます。なのでこうして着想源になった出来事やきっかけを振り返りることで、一人称的に語ることを意識しています。

影響を受けた作家についても教えてください。

副島 まず先ほども名前をあげたスージー・テンプルトンさんです。彼女の『Dog』(2001)を観たときに、本当に人形の内側に何かが息づいているような感覚になり、そのとき初めてアニメーションの面白さを知りました。

また物質の物語性を追求している彫刻家の遠藤利克さんや、最近は台湾の張徐展(ジャン・シュウ・ジャン)さんから示唆を得ています。美術とアニメーションを横断しながら、それぞれのフィールドで学ぶところが多いです。

副島さんも映画と美術にまたがって活動されていますが、両者の違いをどのように考えていますか。

副島 映画の場合は頭からお尻まで時系列順に観てもらうことが前提ですが、美術はインスタレーションなど、鑑賞者に時間軸が委ねられることで、能動的なやり取りが生じやすいです。そのため、展示形式で発表する際は余白を用意することで、観客と応答関係が生まれる余地を設計したいと心がけています。また、スクリーンをなるべく床面に置き、等身大で投影することで、作品と世界が滑らかに接続する設計を試みています。

逆に映画の場合は、その場所に鑑賞者が拘束されるからこその、畳み掛けるような情動の表現を意識しています。理解するのが困難な状態にある物事を描く時に、それでも伝えなければならないことがある場合、映画の構造は効力を持つのではないのかと思います。

最後に制作中の新作『クラゲオンナ(仮)』についてもお聞かせください。

副島 私は現在、神奈川県横浜市の黄金町アーティスト・イン・レジデンスでアトリエを借りています。『クラゲオンナ(仮)』は、様々な国からこの町に渡ってきてこの町に根を下ろした女性たちに焦点をあてる作品です。視点や立場によって異なる歴史が窺える複雑な背景がある土地ですが、一貫して外国籍の彼女たち側の視点は不在のままにあります。かつて「青線地帯」と呼ばれていた土地で、私のアトリエはまさしくその店舗の跡地でした。この部屋にかつていた人々のことを、私は完全に共感することは決してできません。共感したり想像することは時に傲慢な行為になりえます。その自戒の念を込めながら、それでも見えないものとされた彼女たちのことを、同じ部屋を使う自分は想像せざるを得ない日々を過ごしていました。そして、様々な人々から聞く町の歴史や複雑な思いを聞き取っていく中で、一貫して浮かび上がってこない彼女たちの視点に、できる限り歩み寄り、絶えず想像していくということを、今やらなければならないのではと、この土地に長年住む中で、町の変化と共に感じていました。その想像せざるを得ない中で湧き上がってきた情景が今回の企画の出発点となっています。

また、今までは民話のような既存の物語をベースにすることが多かったのですが、町も当事者も実在していますし、自分自身もその土地に住んでいるので、極めて現実に近い話になります。描けることと描けないことが必然的に出てきます。そのため、人形アニメーションを駆使することで、ある匿名性を持って描くことを試みています。自分はどう誠実に向き合うことができるのか、第三者の倫理的な助言を得ながら、住民の方々、女性史や横浜市歴史研究者、レジデンスの関係者方と対話しながら、慎重に進めています。また、黄金町を拠点にコーディネーターとして活動されている蔡循(サイジュン)さんにプロデューサーとして加わってもらったのも、この土地の複雑な背景や思いを共有しながら、共に制作していきたかったからです。


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