推薦アーティスト・矢野ほなみインタビュー

2026年6月19日
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取材
田中大裕
構成
塚田優
『骨嚙み』(2021)

まずはアニメーションに興味を持ったきっかけを教えてください。

矢野ほなみ(以下、矢野) 幼いころからアニメーションは好きでした。初めて映画館で映画としてアニメーションを見たのは、島から船に乗って出掛けた宮﨑駿監督の『もののけ姫』(1997)でした。

京都精華大学(以下、精華)でアニメーションを専門的に学ばれたそうですね。

矢野 精華入学以前に一般大学に通っていたんです。アニメーションを学ぶために美術大学へ行くことを考えていたときに「必ずしも東京にこだわる必要はないかもしれない」と思い、結果的に精華を選びました。

当時、今ほど明確に、アニメーションとアニメの違いを認識していたわけではありませんでした。以前の大学を退学することを決意するまでは、「大学でアニメーションを学ぶ」という発想さえ持てずにいました。

当時は無意識のうちに、アニメーションとは明確な物語(ナラティブ)があり、商品として作っていくものという前提条件が自分の中にあったのだと思います。京都精華大学を選んだのも、そうした商業的な作風への親近感が働いていたのかもしれません。

精華の卒業制作はどのような作品だったのでしょうか。

矢野 卒業制作では『かさぶた -The Scub Pig-』(2015)という作品を作りました。京都精華大学のアニメーション学科ではグループ制作が主流でしたが、私は個人制作を選択しました。卒業制作の時期は、大学という組織の中にいながら、アカデミックな枠組みから距離を置いていた時期だったと思います。自室というパーソナルな空間で一人で制作に没頭していました。

『かさぶた -The Scub Pig-』を話題に上げていただいて、何年かぶりに見直して思い出したのですが、当初は紙に木炭で描こうとしていました。けれど、納得がいかなかったのか、そのカットは一つも残っていないのですべて捨ててしまったようです。結局は鉛筆に持ち替えて制作しました。当時はただ必死で、失敗と対峙し続ける、そんな時間だったんだと思います。

制作の中で唯一、外の世界へ手を伸ばしたのは音楽だったと思います。制作当時、学食付近においてあるピアノでいつも本当に素敵な演奏をする方がいました。思い切って「アニメーションの音楽を作ってくれませんか」と声をかけたのが、今ご活躍されている中村佳穂さんです。佳穂さんとSIMPOスタジオさんに大変お世話になりました。

完成後、ASK?映像祭に応募し、作品を拾っていただいたときは本当に嬉しかったです。そこで初めて久里洋二さんをお見かけし、世界が広がりました。

これらの一歩が、もっとアニメーションという表現を深めていきたいという、今の私に繋がる意欲を灯してくれたのだと感じています。

当時の同期や先輩・後輩で、現在でもアニメーションの世界で活躍されいる方はいますか。

矢野 よく覚えているのは、クロッキー部の人たちです。放課後、有志数人で教室に集まってはクロッキーをする部活動のようなものだったのですが、そのメンバーの中には『ペンギン・ハイウェイ』(2018)や『雨を告げる漂流団地』(2022)などの監督で知られる石田祐康さんや、『ぼっち・ざ・ろっく!』(2022)や『葬送のフリーレン』(2023–4)の監督を務めた斎藤圭一郎さんもいました。

それから、私が『TRIGUN STAMPEDE』(2023)のエンディングアニメーションを担当するきっかけをつくってくれた石井章詠さんとも、そこで知り合いました。この作品には石井さんだけでなく、精華時代の後輩である立和真也さんも参加されていて。10年の時を経たあとに同じエンドクレジットに載ることができて本当にうれしかったです。

思い出深い方の多くは小川博司先生の自主ゼミに所属していたメンバーで、公式な授業とはまた違う活動をしていました。

精華時代に交換留学制度を活用してロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(以下、RISD)に留学されています。

矢野 当時、周囲には商業的な作風を目指している学生も多く、私自身その魅力を十分理解していました。その一方で、アニメーション史の授業でノーマン・マクラレンの『色彩幻想』(1949)に、言葉を失うほどの衝撃を受けました。本当に美しくて、言語以前の感覚や、全く新しい世界を見ているような感覚になったんです。自分が目指す方向性と大学のカリキュラムの間に少しずつ隙間を感じ始めていた時期でもあり、外界を知りたいと思って交換留学制度に手を挙げました。

RISDではFAV(フィルム・アニメーション・ビデオ学部)に在籍していて、美術館での実習やドローイング、ビデオ作品の制作などを経験しました。アニメーションに関しては、ジーナ・カメンツキーのアニメーションクラスを履修していて、ジーナとの出会いが、私の作家としての在り方を決めたように思います。

ジーナは本当に自由な方で、自身の硬直化した考え方を解きほぐしてくれました。授業中に机の上であぐらをかいていたりするんですよ(笑)。思い出深い日々でしたが、そのなかでも特に覚えているのは、彼女のお気に入りの作品の一つは『霧の中のハリネズミ』(1975)であること、それから彼女によく「Go crazy(夢中になりなさい), Honami!」と繰り返し言っていただいたことです。アニメーションをつくるのは大変な作業であっても、作品は自分がつくりたいからつくるのだという、表現の根本的な自由をジーナから教わりました。最後の授業で彼女が、「次は映画祭で会おう!」とみんなを送り出してくれました。

影響を受けた作家としてノーマン・マクラレンやジーナ・カメンツキーの名前があがりましたが、ほかに影響を受けた作家や作品は?

矢野 キャロライン・リーフディアン・オバムサウィンウェンディ・ティルビー&アマンダ・フォービスなど、カナダ国立映画製作庁(NFB)を拠点に活躍する女性作家たちの作品から、技法的にも精神的にも大きな影響を受けました。彼女たちの作品に通底する、触知的な素材の質感を活かした身体的な表現や、社会や自己をユーモアと鋭さを持ってまなざす視点には、いつも刺激を受けています。

それから若くして亡くなられてしまった画家の中園孔二さんの絵も好きです。奔放でいて切実な筆致に惹かれます。あと映画もよく観ていて、最近ですとチョン・ジュリの『私の少女』(2014)、『あしたの少女』(2022)に感銘を受け、繰り返し観ています。

精華卒業後は東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻(以下、藝大)の山村浩二さんの研究室に進学されます。

矢野 RISDで個人制作のアニメーションの奥深さに触れ、もっと専門的に学びたいと思うようになったんです。進学先を考える際、真っ先に浮かんだのが山村先生の研究室でした。、山村さんのご著書『アニメーションの世界へようこそ』(2006、岩波ジュニア新書)は以前から自身にとっては教科書のような存在だったので、迷わず山村研のある藝大を受験することを決めました。それと、精華の最後の授業で、杉井ギサブロー先生が山村さんの『マイブリッジの糸』(2011)を観せてくださったことも、大きな決め手でした。スクリーンを観ながら、「この方の元で学びたい」という確信を持ちました。

藝大では、どんな作家たちと共に学びましたか。

矢野 期は違いますが副島しのぶさん、羅絲佳さんとよくお話しします。私は8期にあたるのですが、同期で特に交流が多かったのは宮嶋龍太郎さん、向井菜月さんです。藝大を修了後に助手を務めていた期間があるので、先輩の久保雄太郎さんやキムハケンさんをはじめ、幅広い世代の方々と関わることができました。あと少し下の期の方々とも交流があり、「Oh Hey Do」というユニットとしても活動されている西野朝来さんと小林真陽さん、ほかには平松悠さん、博士課程で同期のハルマンダル・チャールさんなどです。

現在は藝大の博士課程で「アニメーションに潜在するクィア表現」をテーマに研究をなさっているほか、クィアなアニメーション作品を上映するスクリーニング活動もされています。制作以外の活動にも非常に積極的ですが、その原動力は?

矢野 最初はシンプルに「自分が見たい作品をもっと観たい」という関心が大きかったように思います。他方で、女性同士の親密な関係を描いた『染色体の恋人』をつくった際に、ある批評的な場において、女性同士の関係をまじめに受け取ってもらえず、ギャグとして扱われてしまったことがあったんです。

自分の作品に関わらず、誰かの大切に描いた表現が、あるいはただクィアであることが、既存の枠組みからはみ出したものとして軽んじられる。そのことのへの違和感がありました。そうした経験から、過去から現在に至るまで、ひょっとしたら多くのクィアなアニメーション作品が見落とされているのではないかと思うようになりました。そのなかで、アクセスが難しいクィアなアニメーション作品を上映し、まずは議論の場を作ること、そして考え抜いて文脈づけていく必要性を感じていました。

そうやってクィアなアニメーション作品についてのリサーチや発信を続けるうちに、アニメーションは単にクィアな内容を扱っているのではなく、その表現形式の根本的な部分からクィア性が宿っていると考えるようになりました。というのも、アニメーションの持つ自由な変形や柔軟性は、固定化された身体やジェンダー、境界を撹乱する契機をつねにすでに秘めていると考えられるからです。そうしたアニメーションの潜在的なクィアな可能性について、より理論立てて検討していきたいという思いも、作品制作と並行して研究の原動力になっています。

もちろん理論の証明のようにして作品をつくっているわけではありません。ただ、研究を通じて知らないことを知ること、自分の考えや仮説が言語化されることで、新たな表現のツールを得られる感覚があります。なので研究の成果というのは、直接的ではないかもしれませんが、作品制作にとっても血肉になっていると感じます。

また、上映活動を通して作家と連絡を取り、情報を交換することも研究と制作両方の支えになっています。メールでしかやり取りしたことのないアーティストたちを映画祭で目にすること、こうしたアーティストたちが定期的に発表する新作を心待ちにすることは、とっても幸福です。

人々は遠く離れていて、一方的に知っているだけであっても、道中で出会ったクィアなアーティストや作品たちと、まるで一緒にいるような感覚になります。

矢野さんの上映活動や研究は、観客にアニメーションの新しい観方を提示していると思います。それは真摯に観客と向き合われている証でもあると思うんです。他方で個人制作の場合、極論、観客をまったく意識しないで作品をつくることもまた自由ですよね? 矢野さんは作品をつくる際に観客のことを、いったいどのくらい意識しているのでしょうか。

矢野 わたしの意識はちょうど半々なのだと思います。たしかに出発点は、あくまで自分自身の内側との対話というか、どこまでも私的な問いに向き合うことだと感じるのですが、一方で鑑賞者に何かを届けたいという想いもあります。

以前、ギャラリストの小山登美夫さんのインタビューで「アーティストのつくるものは作品であって、商品になるのは最後の瞬間です」とおっしゃっているのを読んだことがあって、その考え方はすごく腑に落ちました。

作品をつくり始めるときは自己と向き合っている感覚が強く、先に作品ありき、と自分のなかでは整理できると思います。作品を掘っていったり、鍛え上げたりする営みのあとで、ようやく自分の手を離れたその先に、お客さんがいてほしい、そんなふうに願っています。

自身としても、もう手の届かないスクリーンに映し出された段階でようやく作品を客観視できるようになってきます。だから、どうようもなくあとから赤面してしまうようなこともあるのですけれど。そうやってバランスを取っているように思います。

矢野さんのキャリアを振り返ると『骨嚙み』(2021)は大きな転換点になったかと思われます。オタワ国際アニメーション映画祭で短編部門グランプリを受賞するなど、世界各国で高く評価され、国際的な作家としてのポジションを一段押し上げた作品だったのではないかと。

矢野 『骨嚙み』は、私にとって学生の身分を離れて最初の作品だったのですが、その反響にただただ驚くばかりでした。制作を支えてくださったプロデューサーの山村浩二さんと、アシスタントプロデューサーのsanaeさんには心から感謝しています。また、作品の世界観を深めてくださったサウンドデザインの滝野ますみさん、声を担当してくださった田野彩雲さんの存在も欠かせないものでした。さまざまな映画祭で評価していただき、その後のお仕事の糧だけでなく、何より制作を継続する道筋を拓いてくれた作品でした。

最後に現在制作中の新作についてもお聞かせください。

矢野 現在制作中の『エリ』は、朝倉かすみ先生の小説『ほかに誰がいる』(2008、幻冬舎文庫)が原作になっています。私にとって初めての原作がある作品になります。

『ほかに誰がいる』を、ここ10年ほど年に1度は必ず読み返してきました。私にとって大切な物語です。当初は自分で映像化するなんて考えもしませんでしたが、次の作品について考えているとき、今こそこの物語と向き合うタイミングかもしれないと思い立って、朝倉先生にご相談させていただきました。

原作は女子高生が主人公なのですが、作中で肌の色にまつわるコンプレックスへの言及があります。そこから発想を広げ、白黒の肌を持つ乳牛を主人公に据えることで、原作の世界をアニメーションとして表現できないかと考えました。

制作にあたり酪農牧場に取材に行きましたが、そこにいたのは当然ながらほとんどが雌の牛です。妊娠しないと乳は出ず、乳が出ないとなると彼女たちはその地に立ってはいられないる。そうした生きていくうえで逃れられない環境のなかで、それでも「ほかの乳牛に恋をする乳牛」を描きたいと思ったんです。

牧場取材のなかで、山地に暮らす牛たちが主人公になることに確信を持ったのは、神奈川県の薫る野牧場さん、岩手県のなかほら牧場さんを訪れたときでした。雄大な山のなかで牛たちと時間を共にし、夜には落ちてきそうな星のしたで、ここで生きる「エリ」のことを想い、そしてこの物語のことを考えました。

登場人物を牛に置き換えるという大胆な翻案でしたが、朝倉先生からは、温かくご快諾いただき、すごくうれしかったです。同時に中途半端なものは絶対に先生にお見せできないと背筋が伸びました。

『エリ』はフランスのMIYUプロダクションズ(以下、MIYU)との国際共同製作によってつくられています。国をまたいでの合作はいかがでしたか。

矢野 MIYUとつながりを得たのは新千歳空港国際アニメーション映画祭がきっかけでした。『エリ』でプロデューサーを担当してくださったエマニュエル=アラン・レナールさんがピッチのアドバイザーを務めていて、どうしても新作の企画を見てほしいと思って(ピッチに)応募したんです。それが足がかりとなって共同製作が動き始めました。

MIYUの皆さんとは良い距離感で制作を進められています。完成形が見えてきたので、エマニュエルさんから具体的なアドバイスもいただけて、国際的な視線に耐え得る作品づくりができている手ごたえがあります。映画祭への応募に関しても、MIYUの配給部門を取りまとめているルース・グロージャンさんが作家の意向を尊重してくださるので、安心を感じます。

それから、MIYUが調達してくれた資金や、文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業のおかげで、音楽家のジュディス・グルーバー゠スティツァーさんに音楽をお願いすることができました。
彼女は、私が学生時代から大きな影響を受けてきたダイアンやウェンディ&アマンダらの作品を手がけてきた方です。ずっと憧れてきた音の世界に、自分の作品が重なっていく過程は、言葉に尽くしがたい喜びでした。

さ先日、音響の最終工程を行い、今は完成に向けて最後のブラッシュアップをしているところです。制作もラストスパートですが、描く喜びを噛み締めて、楽しく仕事を続けています(編集註:このインタビューは『エリ』の完成前に収録。その後『エリ』は、今年5月に開催された第79回カンヌ国際映画祭「監督週間」にてワールドプレミアがおこなわれた)。


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