推薦アーティスト・ニヘイサリナインタビュー
- 取材
- 田中大裕
- 構成
- 野村崇明

アニメーションを作り始めたきっかけを教えてください。
ニヘイサリナ(以下、ニヘイ) 大きなきっかけは二つあります。一つ目は大学2年生の時に受けた、故・片山雅博先生の授業です。もともとグラフィックデザイナーになりたいと思い多摩美術大学グラフィックデザイン科に進学したのですが、片山先生の授業をきっかけに、自らの絵を動かすことに興味を持つようになりました。
二つ目はプリート・パルン(Priit Pärn)の作品との出会いです。パルンのことを知ったのは山村浩二さんのブログ「知られざるアニメーション」の紹介記事を通してです。彼の作品を観たときに、単に絵を動かすだけではなく、作品としてアニメーションを作りたいという思いが芽生えました。
片山さんはニヘイさんの指導教官でもありますよね。多摩美術大学ではどういったことを教わっていたのでしょうか。
ニヘイ 片山先生の授業は、世界のインディペンデントアニメーションを観たうえで作品を作り、講評してもらうというスタイルでした。アニメーションの技術を教えてもらうのではなく、実際に作品を観て、自分で考えながら作品に落とし込むというスタイルが、私にとても合っていました。
また多摩美術大学のカリキュラムでは1・2年次に徹底的に基礎を叩き込まれるので、そこでドローイング技術が大きく鍛えられました。例えば1年次にはレンブラントやデューラーといった巨匠の作風をアクリルガッシュや木炭で真似るという授業がありましたし、2年次にはタイポグラフィやエディトリアルも学びました。1年次から課題の量がとても多かったので、それらを締め切り内にこなした経験は今でも役に立っていると思います。
2012年に大学を卒業された後は、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)アニメーション科の修士課程に進学されています。なぜ進学先としてRCAを選ばれたのでしょうか。
ニヘイ 大学に入る前から海外に留学をしたいとは考えていました。RCAを選んだのは、ジョナサン・ホジソン(Jonathan Hodgson)、ペトラ・フリーマン(Petra Freeman)、ラン・レイク(Run Wrake)、スチュアート・ヒルトン(Stuart Hilton)といった素晴らしいアニメーション作家を多数輩出していましたし、カリキュラムにも魅力を感じたからです。
当時のRCAには、どういったチューターや学生がいましたか。
ニヘイ 一年次のチューターはジョー・キングという実験映像作家で、2年次のチューターは『A Is for Autism』(1992)で知られるティム・ウェッブ(Tim Webb)でした。クラスメイトには、ニコラス・メナード(Nicolas Ménard)、マーカス・アルミタージュ(Marcus Armitage)、ソフィー・ココ・ゲート(Sophie Koko Gate)、ジェシー・コレット(Jesse Collett)、ジョー・ビチャード(Joe Bichard)、アイザック・ホランド(Isaac Holland)といった作家が在籍していました。ニコラスだけは、二年次にビジュアルコミュニケーション学科からアニメーション学科に転科してきたという流れでしたが。
いまや国際的に活躍している作家たちの名前がずらりと並びますね。この錚々たる顔ぶれの中で、ニヘイさんはどういった学生生活を送られていたのでしょうか。
ニヘイ RCAは年末の数日を除いて土日でも学校が開いていたので、一日も欠かすことなく通い詰めてアニメーションを制作していました。いつ学校に行っても誰かしらクラスメイトがいたので、彼ら彼女らの勤勉さには大いに刺激を受けました。また親から仕送りをもらってはいたのですが、留学中は金銭的な余裕が全くなかったので、裕福なクラスメイト達に負けたくないという想いも原動力になっていましたね(笑)。
2014年に修士課程を修了された後、2019年にはデンマークのヴィボーの「ジ・アニメーション・ワークショップ」(以下、TAW)が主催するレジデンスプログラム「Open Workshop」(以下、OW)に参加されています。このレジデンスについて教えていただけますか。
ニヘイ いわゆるアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)で、移動費は出ないのですが、住む場所と制作スタジオを無料で提供してくれました。20人程度の参加者がいるプログラムで、通常1か月から3か月程度滞在することができるのですが、私は9か月間滞在していました。
OWに参加した経緯ですが、2018年にOWと同じ場所に滞在できる「Nippon Nordic」という1か月間のAIRに参加しました。参加者は滞在期間中に自身のプロジェクトの企画開発を進め、成果発表の日にはデンマークをはじめとした欧州各国からプロデューサーなどが審査員として集まり、その前で参加者がプレゼンテーションをします。私は当時構想中だった『Polka-Dot Boy』のプレゼンをして「9か月間、OWに滞在できる」という副賞をいただき、OWに参加することが叶いました。
余談ですが、『Polka-Dot Boy』をプロデュースしてくださったMIYUプロダクションズのエマニュエル゠アラン・レナールと最初に出会ったのも「Nippon Nordic」がきっかけでした。レジデンスの最終週にヴィボーアニメーション映画祭が開催されていて、彼もそこに来ていたんです。そこで私からコンタクトを取って会っていただき、発展段階にあった『Polka-Dot Boy』の話をしました。その後もアヌシー国際アニメーション映画祭や新千歳空港国際アニメーション映画祭などで顔を合わせる機会があり、その都度、制作状況などは共有していたのですが、制作も佳境に差し掛かった2019年頃、彼のほうから「あのプロジェクトはどうなった?」と連絡をくれて、そこからプロデューサーとして参加していただく運びになったんです。
OWといえば世界的にもよく知れていますから、倍率もかなり高かったと思います。ニヘイさんの他にはどういった作家がいましたか。
ニヘイ ニキータ・ディアクル(Nikita Diakur)やニンカ・ドゥーツ(Nienke Deutz)、レア・ビダコビッチ(Lea Vidakovic)といった作家がいました。また長期間の滞在だったこともあり、最後のほうはショーン・バックルー(Sean Buckelew)、フローラ・アナ・ブダ(Flóra Anna Buda)、レカ・ブシ(Réka Bucsi)の滞在期間とも重なっていました。
ここからはニヘイさんの作品制作についてうかがえたらと思います。まず、制作のプロセスを教えていただけますか。
ニヘイ 私の作品は社会の不条理がもたらす暴力と、それに対する怒りや絶望をコンセプトとしています。不条理を感じるような凄惨なニュースを見聞きしたときに、それを発展させて、キャラクターたちにそのシチュエーションを体験させるという形で作品を作っています。
各キャラクター同士の関係や敵対組織などの設定が固まったら、キャラクターごとのタイムラインを作成し、それをもとにストーリーボードを練り上げます。ストーリーと共に映像も頭に浮かんでくるので、ストーリーボードを実際に書き始める段階では、すでに頭から終わりまで脳内で映像を再生できる状態になっていますね。画面構成やアングルはもちろん、アニメーションのテンポ感も、この段階ですべて決まっています。
ただ色彩については最終段階まで決めていないことが多いです。何色か使う色を決めていることはあっても、細かい色までは決めていません。ですがRCAのプレゼンでは「ここはなぜこの色なのか?」と必ず聞かれるので、修了制作である『Small People with Hats』(2014)に関しては細部の色彩にまで象徴的な理由付けをしています。
作品を制作するうえで、どういったことを大切にされていますか。
ニヘイ 観客を退屈させないようエンターテイメント性を強く意識しています。もちろん、いくら面白くても作品のテーマが伝わらなければ意味がないですし、1回の鑑賞で汲み尽くしきれるような底の浅い作品になってしまっても意味がありません。だからこそ「サスペンス」を意識した作劇が重要だと考えています。不条理や暴力といった作品のテーマを伝えつつ、観客を楽しませ、かつ繰り返しの鑑賞にも耐えうる「謎」を散りばめるよう心がけています。
そうしたこだわりが最もうまく表現できた作品や、あるいはターニングポイントになったと思う作品はありますか。
ニヘイ 自分のやりたいことを達成できたと思った作品は、やはり修了制作の『Small People with Hats』ですね。修了制作は締め切りがタイトだったのですが、1日も欠かさず学校に行って制作したおかげで、締め切りの1週間前には完成させることができました。時間的な余裕があったので、完成した後も作品とにらめっこして、ひたすら改善点を探していました。
もちろん『Small People with Hats』以降の『Rabbit’s Blood』 (2017)や『Polka-Dot Boy』 (2020)に関しても、同じくらい全力を出し切った作品です。映画祭などで世界中の作家と話しますが、彼ら彼女らがお気に入りとしてあげてくださる作品もバラバラなんですよね。
ニヘイさんは個人制作のみならず、コミッションワークも数多く手がけています。コミッションワークを手がけるようになったきっかけを教えてください。
ニヘイ 『Small People with Hats』をVimeoで公開したことですね。この作品について記事を書いてくれた方がいらっしゃって、その記事に貼られたリンクから作品を観たという方々から制作依頼をいただきました。
個人制作とコミッションワークとで、何か違いはありますか。
ニヘイ ミュージックビデオに関してはなるべく血や毒っぽい演出を避けるようにしています(笑)。WHITNEYのミュージックビデオ『POLLY』MV(2016)は特に評判が良かったのもあり、本当にやってよかった仕事だと思っています。あと最近、HuluのIDを制作したのですが、何でも自由にやっていいと言われ、私はホラー担当だったというのもあって、かなり気持ち悪い表現も許容していただけて、作っていて楽しかったです。
制作に用いているツールについても聞かせてください。
ニヘイ まず普通のコピー用紙に鉛筆で作画し、良い動きが作れたらライトボックスを使って、少し厚い作画用紙にボールペンで清書します。清書用の紙は『Small People with Hats』のころから現在まで同じものを使い続けています。白い紙だとスキャンした際にいかにも紙っぽい色合いになってしまうのですが、この紙は色が少しクリームがかっているので、映画的な空間によく馴染むんです。
編集ソフトはRCA在学時からPremiere Proを使い続けています。その前はAfter Effectsを使っていたのですが、編集といっても私はあまり凝った操作はしないので、もっとシンプルな方が良いと思って、Premiere Proに変えました。カラーグレーディングはPhotoshopを使っています。色彩は着彩の段階で綿密に設計しているので、グレーディングで大幅に調整することはあまりしないですね。
最後に、ニヘイさんが影響を受けた作品や作家を教えてください。
ニヘイ 中学生のころから映画が好きで、よくTSUTAYAやGEOにDVDやVHSを借りに行っていました。当時特に衝撃を受けたのがスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1971)で、その余波もあり、高校生になると地元の映画館でミニシアター系の映画を観るようになりました。デヴィッド・フィンチャー『ファイト・クラブ』(1999)や、コーエン兄弟、ロマン・ポランスキー、デヴィッド・クローネンバーグといった作家の作品に特に強く惹かれましたね。また、ミヒャエル・ハネケ『ベニーズ・ビデオ』(1992)も印象深い作品です。
アニメーション作品でいうと、アニメーションを作り始める前からジブリ作品などは観ていましたし、湯浅政明監督の『マインドゲーム』(2004)や、本郷みつる監督『クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』(1995)も好きでした。ただ作家として影響を受けたという部分では、やはりプリート・パルンが一番ですね。