第二期公募枠アーティスト・榊原澄人インタビュー

2026年6月19日
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取材
田中大裕
構成
塚田優
『子どもたちの霊歌』

いつからアニメーションの道を志していましたか。

榊原澄人(以下、榊原)  アニメーションをつくろうと決めたのは、14歳の頃だったと思います。ただ当時から、いわゆる商業的なスタイルはイメージしていませんでした。単に自己表現の手段ではなく、あるいは社会的な価値でもなく、もっと根源的な、時間や生命、運動を探求するメディアとしてのアニメーションに直感的に惹かれていました。

15歳でイギリスに渡られたとのことですが、渡英の経緯をうかがってもよろしいでしょうか。

榊原 中学校を卒業したら親元を離れて生活するという家庭方針だったので、卒業後はどこかに出ていくものだという感覚で過ごしていました。

姉がアメリカに行っていたこともあり、最初は自分もアメリカに行く話が出ていたのですが、ビザの問題などがあって、結果的にイギリスになりました。

大学院は、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)のアニメーションコースに進まれていますね。当時のRCAの雰囲気を教えてください。

榊原 周囲の院生は大半、社会人経験を積んでから進学していたので、年齢も20代後半から30代が中心でした。僕は大学からストレートで進学したので、かなり若いほうでした。

ユニークな学生が多くて、面白かったです。世界中から人材が集まっていて、アニメーションコース以外とも交流がありましたし、人種も多様でした。日本人コミュニティもありましたよ。ひとつ上の学年には、のちに東京藝術大学大学院のアニメーション専攻の立ち上げにも関わった村上寛光さんもいました。当時の友人からは、今もたまに連絡が来たりします。

RCAの教育プログラムは、どのようなものだったのでしょうか。

榊原 そうですね……。正直に言うと、何かを教わった記憶はあまりありません。そもそも、大学で何かを教えてもらおうという意識が自分の中にはなかったんです。必要なことは自分で勉強するという姿勢が学生にも浸透していて、教員は対等な立場で議論をする存在という感じでした。学生同士でお互いに批評し合うこともありました。RCAとしても、そういうオープンが議論ができる空間をつくることを大事にしていたんじゃないかと思います。

影響を受けた作家や作品についても教えてください。アニメーションでなくても結構です。

榊原 たくさんのものから影響を受けています。大学では映画史の講義も受講していたので、古典的な映画を特に好んで観ていました。

ですが、人生で最初に強く印象に残っているのは、たしか小学校高学年のときに観たジョルジュ・ルオーかもしれません。 親に教会の帰りに展示へ連れて行ってもらったんです。ルオーを最初に観たときは「下手だな」なんて思ったりもしたんですが(笑)。けれども、言葉では言い表せない何かを子供ながらに感じて、圧倒されたと記憶があります。 

現在は日本に帰国され、長野県を拠点に活動されています。長野を拠点に選んだ理由は?

榊原 僕はもともと北海道の十勝出身なんですが、僕がイギリスに渡ったあと、医療関係の仕事をしている両親が、長野の病院で働き始めたんです。当初はアフリカで医療従事にあたるまでのいわば「つなぎ」のつもりだったようなのですが、母が体調を崩してしまって、それをきっかけに両親はそのまま長野に住み続けることになりました。そのような縁もあって、僕も帰国後20年近く長野を拠点に生活しています。

制作は基本的にご自宅でされているのでしょうか。

榊原 そうです。自宅の作業部屋でキャンバスやパネルにアクリルで絵を描いて、それを一眼レフカメラで撮影し、PhotoshopかAfter Effectsに取り込んで編集しています。

ただ、子育てが忙しくて、制作に集中して取り組めない時期が長くありました。最近ようやく作業のための空間を本格的に整えたところです。

子育てと制作をどのようにバランスしていますか。多くの作家が頭を悩ませているところだと思われますが……。

榊原 バランスを取るのは難しいです。自分でもどういうふうに成り立っているのか正直よく分かりません。いろんなことを同時にこなせるタイプではないので、制作に集中できず落ち込むこともありますが、時期が来たらおのずと進み始めるという感覚もあります。

生活と制作の両立は常に困難をともないます。ただそれは、根本的には昔も今も変わらない気がしますね。時間や経済的な余裕がないと制作ができないというのも違う気がしますし、余裕さえあれば良い作品をつくれるのかというと、そんな単純なものでもないと思います。制作と生活は、それぞれがバラバラに走っているものではなく、表裏一体というか、交差しながら人生を紡いでいくものなので。だからこそ、ライフステージごとの制約──というか条件の中で、いかに制作の時間を確保するか。それしかないのだと思います。

どういったことからインスピレーションを受けて制作を始めますか。

榊原 今まで見てきたものや読んできたものが収められた引き出しが頭の中にあって、ふとしたきっかけでそれが開くようなイメージです。作品のためにリサーチをすることもありますが、最初のきっかけは普段の積み重ねがふとした瞬間に輪郭を結ぶことが多いような気がしますね。

榊原さんの作品は、断片的な細部がループ構造を有していて、そうした断片同士が互いに関係し合いながら、より大きなループを構成しているのが特徴かと思われます。細部と全体の関係はどのようにして設計されているのでしょうか。

榊原 ひとくちに「時間」と言っても、瞬間的に切り取るのか、1年とか長い時間で切り取るのかで違いますよね? 僕はそうした時間の複数性──あるいは世界の複数性と言い換えてもいいかもしれませんが、それを「クラインの壺」のような構造として捉えようとしています。細部は全体であり、全体は細部であるという状態です。言語的な分節を持たず、それぞれが渾然一体と交じり合っていくような感覚と言えばいいでしょうか……。

それは、はたして知覚可能なものなのかというと、おそらく本来はできない。これは視覚の曖昧さに関わってくることでもあります。僕は目が悪いから肉眼だと世界がぼやけて見えるのだけれども、クリアに見えていたとしても、それはきっと本当の意味で「見えている」わけではないんだろうなという感覚があるんです。 近視的に見るか、遠視的に見るか、視点は様々だとは思いますが、その都度まるで違う層が立ち現れてくるような体験にしたいというか。 そこに鑑賞者の心の流れがどのように関与してくるのかに興味があります。

解釈は鑑賞者にゆだねられている? 

榊原 理知的な解釈はときに素直な眼差しを歪めてしまいますが、人があらゆるものに「物語」を見出すのは自然なことで、それは鑑賞者にゆだねられている、と言っても良いと思います。

榊原さんは映画のみならず、インスタレーションやマンガなど複数のメディアにまたがり、領域横断的に作品を発表されていますね。その理由をお聞かせください。

榊原 例えば料理をしたり、薪を割ったりする延長線上に制作も捉えているので、自分の作品に関して言えば、領域が分断しているという考えをそもそも持っていないんですね。なので、「横断」しているという意識もありませんでした。

ただ、媒体の特性については考えます。 例えば筆跡を残したいと思ったらペインティングやマンガになりますし、それが移ろう時間が必要であればアニメーションになる。大切な人をそのまま撮りたいと思えば、実写になります。

テーマによって手法も吟味されているということですね。

榊原 そうですね。昔は自分の足場となるような形式を追い求めていた時期もあった気がしますが、人生を重ねるうちに、より自由になってきた感覚があります。

少し角度を変えた質問をさせてください。アニメーション映画と美術では、作品を評価する「制度」に違いがあるように感じます。そのあたりについて榊原さんは、どのようにお考えですか?

榊原 批評言語の違いはあると思います。 ただ個人的な意見ではありますが、アニメーションに関しては(批評が)ほとんどされてこなかったと感じています。アニメーションは、その独自の歴史の中で、モダニズムを経ることなく、ポストモダンに回収されてしまったような印象があります。一方で美術──特に現代アートは20世紀中盤以降、思想や哲学、あるいは社会のさまざまな文脈と交差しながら独自の批評言語を成熟させていったと思います。

ですが、そうした批評言説に当てはめるようにして制作をするのも違う気がしていて、自分はそういう「制度」に囚われたくないというか、意識的に囚われないようにしているかもしれません。

最後に制作中の新作『子どもたちの霊歌』についても少しうかがえたらと思います。

榊原 今まで360度スクリーンにアニメーションを投影するインスタレーションを2作品発表してきました。新作は同様の形式を踏襲した3つ目の作品になるのですが、今度の作品でこのやり方は一区切りと考えています。新しい試みとしては、詩人で友人の中尾太一さんによる朗読を作品に取り入れているところでしょうか。

新作では劇映画的なモンタージュの要素も部分的に取り入れる予定と耳にしました。

榊原 そうですね。短編映画としてシングルチャンネルのバージョンも同時に制作するので、クローズアップのカットとか、そういう映画的な編集を取り入れる計画はあります。

また、フランスのMiyu Productionsとの共同製作がすでに決定しています。

榊原 声をかけていただいてありがたいです。 まだやり取りが本格化していないので、現時点でお話しできることはあまりないのですが、ヨーロッパでの生活が長かったのでコミュニケーションの面は差し支えないと思っています。

映画祭をきっかけに僕のこと知ってくれたようで、他者からの評価を意識して作品をつくることはしないですが、結果的にこうして仕事がしやすくなるわけですから、評価していただけることにはいつも感謝しています。


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